「汝、暗転入滅せよ!」 かつて背徳の町を滅ぼした火球の如く、炎を纏い天草は天から覇王丸を襲った。 剣を振り切ったばかりの覇王丸に躱わしきることはできず。 「う、お……ぉぉ……っ!」 直撃を喰らった覇王丸の体は、あまりにも軽く、飛んだ。 地に叩きつけられた体が、二度、三度、まるで毬のように跳ね、転がる。 「これで、わかっただろう? 覇王丸」 地に降り立った天草は妖艶な笑みを浮かべて仰向けに倒れた覇王丸に、ゆっくりと歩み寄った。 なんとか体を起こそうと藻掻く覇王丸の傍らに膝をつき、泥と血にまみれた胸を指先で撫で上げる。 「覇王丸、我が手を取れ。我と共に暗黒の道を、ゆこうぞ……」 「っ……ぅ……」 苦痛に霞む眼を、覇王丸は見開いた。その腕が、動く。 空を切る音、続いて、耳障りな甲高い音が、響いた。 「……ふん」 天草の力の障壁に阻まれた刃が、それを握る覇王丸の腕が、力を失って落ちていく。 その様を冷ややかに、だが嬉しげに見やり、天草は覇王丸に視線を戻した。 「流石は、覇王丸。最後の最後まで足掻くその魂、愛しきものよ……。 だが、ここまで」 覇王丸の胸元から首筋へ、首筋から頬を伝い額へと指を滑らせながら、天草は己の唇を舐めた。 懸命に目を開き、覇王丸は天草を睨み付ける。意識を保とうと噛みしめた唇が切れ、血が流れていく。 「次に目覚めた時は我がはらからよ、覇王丸……」 覇王丸の額へと移った天草の手が、一瞬、闇色の光を宿す。 「…っ…」 微かに呻いて、覇王丸の目が、閉じた。 「……強き男……」 天草は覇王丸の唇から流れる血を、指先で掬った。その血は、天草のものよりも赤く、熱い。覇王丸の魂そのものの如く。 気を失う直前まで、覇王丸は天草を見据えていた。 死への恐怖が、敗北を理解した無念さがその両眼にはあった。だがそれらを踏み越えた鮮烈な闘志は、最後まで、消えなかった。 いや、意識を失ってなお、覇王丸の闘志は息づいている。覇王丸の右手は刀の柄を握りしめたまま、緩むことがない。 ――………… 覇王丸の血で染まった指で、天草は己の唇を、なぞった。紅い唇がより艶を増す。 血の紅を差した手を、天に掲げる。ふわりとその掌に、宝珠が舞い降りる。 天草の手の宝珠が妖しい輝きを放った。光は地に広がり、覇王丸を中心として魔法陣を描き出す。 これから天草が行うは、闇の洗礼の儀。この儀を経れば、覇王丸は天草と同じ暗黒神の使徒となる。これだけの強き魂、アンブロジァの復活が為、世へ破滅をもたらす為、きっと役に立とう。 そして、天草は覇王丸を永遠に傍らに置くことができる。 ――……なれ、ど。 宙で宝珠が放つ輝きの下、天草は覇王丸の体を、今一度撫でる。慈しむように、愛しげに。それは、遠い記憶の中の天草四郎時貞が、愛しき民に施したが如く。 天草の触れた覇王丸の傷が、ふさがっていく。 天草は、思った。 覇王丸の眼は地を駆ける孤狼のもの。天を翔る猛鷹のもの。誰に囚われることなく、独りであるからこその、美しく強い魂。 ――我は、まこと、手に入れられるのか……? 血に汚れ、刀傷の痕も見える覇王丸の頬を、撫でる。うっと覇王丸が呻く。刀を持った手に力が、籠もる。 ――この覇王丸の意志……まこと、手に入れられるのか……? 魔法陣が輝く。早く、と天草をせかすように。 ――我が、求めるのは。 洗礼を施せば、覇王丸の魂は魔と闇に塗りつぶされる。 新たに魔の力を得て、覇王丸は強くなる。 だが、覇王丸の魂の輝きは。 ――………… 覇王丸の心は消えぬ。洗礼を施しても人格そのものが壊れるわけではない。記憶が消えるわけでもない。天草が忌まわしき惨劇の記憶を抱き続けるように。 だが、闇に絡め取られてなお、覇王丸は覇王丸であるといえるのか。 闇に従属してなお、覇王丸は天草が欲した覇王丸のままなのか。 ――………… 天草は、静かに立ち上がった。 同時に魔法陣が消え失せ、宝珠は天草の掌へと、還る。 「……汝が魂、時を経れば更に輝きを増す。その時を、我は待とう。その時こそ、我は……」 覇王丸に背を向けた、天草の唇が小さく動いた。覇王丸の血を紅とした唇は、赤く、艶めかしい。 「……待っているぞ、覇王丸……その時を、我は……」 呟いた天草の姿が、消える。 春の陽炎の、如く。 |