夜光杯 ―壱―


 勘蔵は、夜の空を見上げた。
 明るい、と思う。
 無数の星々の輝きはさざめかんばかりであるし、真円を描いた月の蒼い光はまばゆいほどだ。
 暗くはない。
 夜は存外、明るい。
――任じゃなくて、よかったな。
 闇夜ならば、忍や鍛えられた者でなければ見通しが利かないが、今日のような夜は誰にでも光を与える。
 忍の教えにも、「地蔵薬師の前後を選ぶ」という言葉がある。地蔵薬師とは満月のこと、つまり満月の夜を避けよという教えだ。
――けど……満月ってこんなに明るかったんだなぁ。
 夜空を見上げ、勘蔵は思う。教え通り、任の時には満月を避けてきた。避けようがなく満月の夜に任を果たさねばならぬ時もあったが、これほどまでに明るいと感じたことはない。
――……空を、見上げてなかった所為かな。
 幼い頃はそうではなかった気がするが、もう随分と長い間、満月をじっくりと見ることをしていない。
 だから、夜をここまで明るいと感じたこともなかった。
 勘蔵は傍らに置いてあった徳利に手を伸ばした。
 この間の任で、手に入れた酒だ。かなり甘いと聞いている。
 父も兄も、そして母も余り酒を飲まなかったので、勘蔵も家では飲むことはほとんどない。が、勘蔵は結構酒がいける口である。任に出たときには機会があれば飲んでいる。もちろん任に差し支えない範囲で、であるが。
――酒を飲むには、良い夜だよな。
 酒と一緒にもらった杯に、酒を注ぐ。
 芳醇な香りが、夜気にほどけていく。
 酒の香に誘われたように、ひらりと一枚、月光の中を流れるように木の葉が落ちる。
 赤子の手の形をした、赤い木の葉。
 それを横目に、ぐい、と一口に勘蔵は酒をあおった。
「甘い」
 ぐい、と口元を拭って呟く。
 聞いたとおり、酒は甘かった。
 また一葉、赤い葉がゆらゆらと落ちる。

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