「任に行った先でさ、もらったんだよ」 兄の手に杯を持たせ、にこにこと勘蔵は言う。不機嫌そのものの真蔵の表情は見ない振りだ。 ただ酔っているだけかもしれないが。 「もらった?」 「そう、これで」 勘蔵は真蔵の顔の前で軽く手を振ってみせる。その手の指の間に、ぱっと四つ、小鳥の卵大の玉が表れた。 「ああ、手妻か……。それで酒とは、振るっているな」 「名主の娘さんの嫁入りの席でね」 くるりと手を返すと、勘蔵の手から玉が消える。 「……お前、任の最中に何を……」 「堅いことは言いっこなし。任はちゃんと片づけたし、断るのも、おかしいだろ?」 勘蔵は両手を広げて、自分の格好を真蔵に示した。 藍の筒袖に伊賀袴、萌葱の羽織と頭巾、左の二の腕には紅の布を縛り付けている。かなり派手なこの形は、旅芸人のものだ。 旅芸人が芸を請われて断るのは、確かにおかしい。少し納得しないものを感じながらも、真蔵は頷いた。 それでも一言付け加えるのは、忘れない。 「……こんなところで油を売っていないで、さっさと里長に報告に行け」 「夕方に着くつもりだったんだけど遅くなったからさ、ここで一息ついてたんだよ。 こんな時間に急いで報告するほど火急の任でもないし」 けろりとして兄の言葉をかわすと、真蔵の手の杯に酒を注いで「ほらほら」と勘蔵は促した。 ――酒、か。 暫く真蔵は揺れる酒を見つめていたが、目を細くすると一息に杯を干した。今は、真蔵も少し飲みたい気分だ。 水菓子のような甘みと、さらりとした口当たりの飲みやすい酒だ。それほど酒が好きではない真蔵だが、この味は気に入った。 「甘口だけど、美味しいだろ? 兄上はこっちの方が口に合うと思うんだけどさ」 「……確かに、美味い」 頷き、杯を勘蔵に差し出す。 嬉しそうな顔で、勘蔵はもう一杯注いだ。それが兄が酒を美味いと言ったからなのか、追及をかわせたからなのかは、真蔵には図りかねた。 輝く月と星の下、はらりと小さな影が落ちていくのが勘蔵の肩の向こうに見える。 蒼白い光に映える、赤い葉。 「紅葉か」 「うん。 もう、こんな季節なんだなぁ。任に出た頃は、まだそんな気配はなかったのに」 「ああ」 真蔵はまた一息に杯を干す。 また一枚、赤い葉が散る。 螺旋を描き舞うその葉が地に落ちる、まさにその瞬間。 こう、と風が吹いた。 風が、赤い葉をさらう。闇に。 「このようなところで、酒盛りか」 声が、した。 低く深く、そして冬の大気のように冷ややかな声が、闇から響く。 気配はない。ただ声だけが在る。よく知った、声だけが。 びくり、と兄の体が声に反応をして震えたのを、勘蔵は感じた。 耳の奥で、いん、と何かが鳴る。光が瞬時に遠ざかる、そんな感覚が走る。 真蔵が、杯を置く。 「随分と気楽なものだ」 草を踏みしめる音と共に、漸く気配が二人の後ろに現れる。 真蔵と勘蔵は、ゆっくりと振り返った。 青白い月光がぎりぎり届かない位置に、人型の影が一つ。 ゆうらり、と鮮やかな深紅が月光に伸びる。 「!」 音もなく飛来したそれを、真蔵は受け止めた。 弾みで、かちゃりと音がする。 手の中のそれが何であるかを認識すると同時に、真蔵はその場を飛び離れた。 紅の尾を引き、青白い月光を裂いて、闇が、疾る。真蔵を、追う。 真蔵も何度も見た姿だ。 一人の忍として『服部半蔵』に従った時に。 天草四郎時貞に肉体を奪われ、『父』の敵としてその前に立った時に。 ――父上……! 真蔵は手にしたそれ、投げ渡されたそれ―一振りの忍刀を引き抜いた。 理由はわからないが、父、服部半蔵は真蔵に殺気を向けている。 ひう、と空が鳴く。考えるより速く、地を転がる。刃がたった今自分がいたところを薙ぐのが見える。すぐさま跳ね起きる。右手に刀を、左手に鞘を握ったまま、低く身構える。 相手は、服部半蔵。僅かなりとも気を抜けば、死ぬ。 そうできれば。真蔵は思う。父の手にかかって死ぬことができればと。 己では命を断てぬ。この命は父と母によって救われたもの。 だが、父自身に殺されるならば。それならば。 ――……それなら、ば。 そう思いながらも、真蔵は精神を研ぎ澄ませていた。闇に潜む父の気配を求め、追った。 |