一年前、封印の地、島原である事件が起きた。 一五○年前に死したはずの者が、邪気の力により目覚め、現世に滅びをもたらそうとしたのだ。 その者はある者達によって、倒されたのだけれども。 風間の衆が守らなければならない封印は、弱くなってしまった。 そして蒼月はその時初めて、葉月の『力』と『役目』を知った。 「これはお前と、この里の頭衆しか知らぬことと思え」 重々しい口調で言った長の言葉を、蒼月はいつものように無言で聞いていた。だが膝の上に置かれた両手は、強く握りしめられていた。 葉月は、『雛』。 穢れを一身に、己が身に引き受ける者。 あたかも、穢れや恨み、負の感情を託され捨てられる、『流し雛』のように。 だから葉月は『雛』と呼ばれる。 守るべき封が破れるとき、甦えらんとする魔性の力を吸収し、命と引き換えに、再び封じる役を担いし者。 「……ならば…葉月は…あれは……死するために生まれたということ、ですか」 ほんの僅かではあったが、蒼月の声が、掠れていた。 「死は人すべての運命だ」 「……………」 蒼月は僅かに目を伏せ、そして、長の目を見た。 ……ぞくり。 その目に、長は恐怖に近いものを感じた。 蒼月の目から、ほんの今まで見せていた心の揺れが消え、氷のような冷たいものだけが、そこにあった。 月はするすると昇っていく。 ――後、一刻。 辺りは不気味なほどに静かだった。 空が流れる音さえ、ない。 このまま何もなく、「その時」が来ればいい… ――だが。 甲賀衆が必ずや妨害しに来る。彼らは、風間のやり方を認めない。 そして。 火月も来るだろう。必ず。 火月が来れば。 天から地に、蒼月は視線を動かした。 廃虚となった城。その中庭だったところに、巨大な岩が一つ。 その前に、宙づりにされたように浮かんでいる、一人の娘が在った。桜色の長襦袢だけを纏った、まだどこかあどけない顔立ちをした娘。 少女は異様な気に包まれていた。いやその気を、自分の内に吸収していた。己が身に邪気を集め、宿し、己が命、魂の内に取り込んでゆく。 言うなれば今の娘―葉月は純粋な邪気の結晶だ。 封じるには最適のかたち。しかし、魔の者の糧となるにも、最適の形だ。 見極めなければならない。 『雛』を封じるのと同時に、その余波にこの辺り一帯の『魔』を取り込み、共に封じる時、その時を、ぎりぎりまで、見極めなければならない。 火月は何も知らない。 長は言うなと言った。 蒼月はそれを理解した。 火月は事実には耐えられまい。知れば必ず怒るだろう。何等かの暴挙にでるかもしれない。 わかっていたから、長は言うなと言った。 わかっていたから、蒼月は言わなかった。 だが、と蒼月は思う。 それでよかったのだろうか。 言わずに、よかったのだろうか。 結局、火月は暴挙にでた。 掟に背き、葉月を救うために里を出た。 結局。 葉月の表情に歪みはない。 邪気を宿しながらも、静かに眠っている。 魔を解き放つ鍵となるにしても、魔を封じる鍵となるにしても、その身は滅びるというに、恐れもなく、苦痛もなく、眠っているように見える。 川に流される雛は、抵抗する術など、知らない。 運命のままに、己の役割を果たすために、流されゆき…… ――それを…壊すのは。 流される雛を心から想い、手を伸ばすのは。 蒼月は月を見上げた。 丸く満ちた月はまた少し、天頂に近づいていた。 |