清三が運ばれたのは、伊賀町の診療所であった。
「深手ですが、命に関わるものではないと医師殿はおっしゃっていました」
 気丈に半蔵に説明をしているのは初である。傷の手当を終えた清三は、昏々と眠っているという。
 初の傍らには、伊賀町の長が座している。半蔵と年は同じぐらいと見えるその長が、続いて口を開いた。
「届けは上には一応いたしております。が、今のところは我らのこと故」
「うむ」
 半蔵は一つ、頷く。事件の子細がわかるまでは表の――通常の調べに任せるわけにはいかない。伊賀町で異変など滅多に起きるものではないが、いざ起きたときには町の特性上、裏になにがしかが絡むことも少なくない。そのなにがしかを自ら定かにする事は、伊賀町の者、つまりは伊賀忍自身の役割であり、矜持でもある。
 故に、半蔵が続いて口にしたのは、確認の問いかけであった。
「子細を聞きたい」
「…………」
 伊賀町の長は、すぐには返答しなかった。
 半蔵は伊賀町の住人ではない。「服部半蔵」の屋敷はこの江戸にあり、その主は確かに半蔵ではある。それでも半蔵は伊賀町の者にしてみれば、今や外の者だ。半蔵の名を継ぎ、伊賀衆最強を冠した忍であっても外の者は「伊賀町のこと」に無遠慮に手を出してはならない。
 当然、半蔵も承知していることではあるが、敢えて介入しようとしているのは、
「つつじの前で、柳生十兵衛殿を見た」
からであった。
「柳生十兵衛殿と申せば、公儀隠密の……」
「うむ」
「ご公儀がこのようなことを察知していたと?」
 怪訝な素振りを見せる長に、半蔵は首を振った。
「それはわからん。
 されど、柳生殿が関わるなにがしかの件と、繋がっているやもしれん」
 長は、腕を組んで考え込む。長もまた、半蔵と同じように十兵衛が伊賀町のつつじをただ徒然に見に来たとは考えなかったようだ。
「……承知いたしました。
 半蔵様にも、子細を聞いていただきます」
 ややあって、長は頷いた。緊張気味に様子を窺っていた初へと顔を向け、促す。
「初」
「は、はい。
 父が斬られたのは、長屋から表通りへと続く路地です。襲われた父の声を聞いた方が、気付いて駆けつけたそうです」
「清三は一人のところを襲われたのか」
「はい。そのようです。
 あの場所は、昼間から人気がないこともしばしばありますから、それはおかしくは……あ、でも、今日はつつじが出ておりますから、普段よりは人の出入りがあったはずです」
――その様な場所で襲うとはな……
 下手人は剛胆なのか、浅慮なのか。それとも気付かれぬ手だてがあったのか。考えつつ、半蔵は次の問を口にした。
「下手人について、何かわかることはあるか」
「父は、斬ったのは、侍だと……申しておりました」
 感情が昂ぶったのだろう。一つ一つ、言葉を区切る初は、膝の上の手を、強く握っていた。
「侍?」
 初の感情を見取りながら、淡々と半蔵は問いを重ねる。
「……はい。されど、今の父からは、詳しくは、聞けておりません……」
「襲われた理由に、思い当たる節はあるか」
「…………」
 それまで、真っ直ぐに半蔵を見つめていた初の視線が、思案の色と共に伏せられた。
「……これと言って、ございません。父は人の良さとつつじ作りだけが取り柄のようなものでございますし……」
「役目は」
 この問いに答えたのは、長であった。
「主に、明屋敷の番を勤めておりました。
 されど、ここしばらくは気にとめるような屋敷はありません」
 明屋敷とは、江戸の大名や旗本の住まいであったが、様々な事情によって主を失った屋敷である。この屋敷を、次の主が決まるまでの間管理するのが、江戸の伊賀衆の表向きの役目の一つであった。
 明屋敷は大名や旗本が住まっていた屋敷である故に、何らかの秘密や表に出せぬものが、まれに眠っていることもある。それが斬られる理由になったとしてもおかしくはない。
 しかし長が気にとめるような屋敷がない、と言うのならばまずは信じて良いだろう。
 となれば、伊賀忍であることが襲われた理由、という線は薄くなってくる。
「ならば、清三が取られたものはあるか」
「……一つだけ、ございました。
 父が持ってくるはずだった、つつじの鉢がなくなっておりました。家にもありませんでしたから、父から、奪われたはずです」
 半蔵は、先程まで眺めていたつつじの棚の、ぽっかりとあいた空白を思い返した。
「どのような鉢だ」
「父が一番丹誠をこめた自慢の一鉢で、自分以外の誰にも世話させたくはないと言っていたものです。ですから今日も、父自らが運ぶことにしておりました」
 空いていた空白は、棚の中央でもっとも鉢が映える場所だった。そこに置かれる鉢なのだから、さぞや見事なものだったのだろう。清三が自分で運ぶというのも当然と思える。
「どれぐらいの大きさだ?」
「これくらいの……手桶ほどだったと思います」
 言いながら、初はおおよそのの大きさを手で示した。盆栽としては中ぐらいといえるだろう。
「昼日中、そんなものを持っていれば、常ならば人目にも付くはずでしょうが……」
「今日はつつじの市、持っていたところでそれほどは目立たぬ、か」
「しかし、何故……」
 困惑の体で、初が呟く。
「あれは父が丹誠こめたとはいえ、ただのつつじです。
 父を斬ってまで奪う価値など……」
 僅かに眉を寄せ、考え込んだ初が、あ、と小さく声を漏らす。
「何か、あったか」
「ここしばらく父は妙に不機嫌でした。
 理由を聞いても教えてはくれなかったのですが……
 ただ、「金でどうこうできるものか」とだけは言っておりました。
 この「金でどうこう」というのがおそらくは」
「つつじのことか」
「となれば、金の話を持ちかけたのも、清三を斬った侍達でしょうな」
「では、金ではつつじを渡さなかったから父は」
「そういうことだろう」
「でも、何故……」
「欲した者には、大きな価値があったのだろう。 
 それが何かは、調べれば自然と明らかになろう」
 そう話す半蔵の脳裏には、再びつつじの前にいた十兵衛のことが浮かんでいた。

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