伊賀組の同心長屋の裏道と、つつじの棚の並ぶ表通りを繋げる細い路地。そこが、清三が襲われた場所であった。
 一人、そこを訪れた半蔵はゆっくりと周囲に視線を巡らせた。
 細いと言っても、路地には人が二人は並んで通れるぐらいの幅はある。前後を抑えれば退路を断つのは容易いことを考えれば、襲撃するのに悪くはない場所だ。
 問題となるのは人目である。初も言っていたとおり、時間を選べば――例えば夜半から早朝、あるいは伊賀組の者達が日常の役目に出払った昼間など――人気のなくなることもあるだろうが、今回は時間を選べるわけではない。また、今日は普段より人が多く、行き来も盛んだ。
――だが、清三が襲われたときに、周囲に人はいなかった。
 まだ表通りからは賑やかな声が聞こえる。ここでのことは、表側にはあまり気付かれはしなかったようだ。
――それほどに手際がよいのか、あるいは何か術を仕掛けたか……
 どちらにせよ、やはりつつじ一鉢に随分と手の込んだことである。
「……貴公は、いかが思われますかな」
 振り返ることなく、半蔵は言った。
「ふむ」
 平然と、公儀隠密にして将軍家剣術指南役、柳生十兵衛は考える体を見せる。
 気配を抑えた十兵衛が無言で半蔵の背後に歩み寄っていたことなど、二人とも触れもしない。
「いかが、と言われても儂はそちらの子細を知らぬでな」
「左様か」
 笑みを含んだ十兵衛の声に、ようやく半蔵は向き直った。
「ならば、貴公の子細をお聞かせ願いたい」
「はて、儂の子細とは?」
「例えば、つつじを見に参られたことなど」
 半蔵の顔は常と変わらない。感情を感じさせない、静かだが鋭い鳶色の眼を、真っ直ぐに十兵衛に向けている。
「伊賀組のつつじの見事さに引かれて、ではならんか」
「申し訳ないが、信じがたい」
「言うてくれる」
 くくと、十兵衛は喉を鳴らした。
「なれど泰平の世の所為か、剣よりも花を好む者は存外多い」
――…………
 ちかりと、十兵衛の明き目に光が走ったのを半蔵は見た。
「いかに花を好んでも、人を斬ってまで求める者はそうはおりますまい」
「まこと、そう思われるか?」
「……さて。
 貴公の子細次第では、今少し考える余地もあろうかと」
「ならば、考えていただこうか」
 そう言うと、くるりと十兵衛はきびすを返した。
「立ち話もなんだ、場所を変えると……」
 続けた十兵衛の言葉が、ふいと、途切れる。
 微かな空を切る音、そして直後の金属がぶつかり合う音に。
「……良い所をご存じで?」
 先を促しながら、半蔵は棒手裏剣を一つ、拾い上げた。拾い上げた手と逆の手には、半蔵自身の棒手裏剣が握られている。
 拾った棒手裏剣は、随分と細い。赤く塗られ、細かな装飾がびっしりと施されていた。
――警告のつもりだろうが……浅はかな。
 肩越しに振り返った十兵衛に、首を振ってみせる。曲者の気配は無い。
「うむ、なかなか良い団子を出す店があってな」
 肩越しに振り返り、十兵衛は応えた。
 その口元には、楽しげだが剣呑な笑みが、一つ。


 十兵衛が案内した運河沿いの水茶屋は、盛況だった。
 そう遠くないところに回船問屋の大店があるのもその理由だが、看板娘が評判の美人であるというのがより大きな理由のようだ。
「ごゆっくり」
 その美人の看板娘は長椅子に並んで腰掛けた半蔵と十兵衛にそれぞれ茶と団子を出すと、風に揺れる柳のようにお辞儀をして下がった。
「この店の餡が絶品でな。
 故にみたらしよりも餡の団子の方が人気があるそうな」
 皿に並んだ団子を一串とって口にした十兵衛の顔が、実に嬉しそうにほころぶ。
 倣って、半蔵も一串取った。
 餡ののった、三つ串に刺さった団子の一つを食べれば、ふわりと餡の香が口内に広がった。しっかりとした小豆の風味を、品良く砂糖の甘みが包み込んだ餡は、実にうまい。またその餡が、歯ごたえの良い白玉の団子に良く合う。
「……ほう」
「うまかろう」
「確かに」
 ずずっ、と音を立て、二人は茶をすすった。
 新茶の爽やかな味わいが、甘みに慣れた口に心地よい。
 音もなく湯飲みを脇に置くと、半蔵は十兵衛を促す。
「それで」
「うむ。
 真壁将監を存じておろう」
 十兵衛は膝の上に湯飲みを持った手を置いた。
「先の、勘定奉行ですな。
 己の権勢を利用して私腹を肥やしたかどで、お役を解かれたと聞いておりますが」
「その通り。
 今は蟄居を命ぜられておる」
 さらりとそう言ったが、実は真壁将監の解任は十兵衛自身の働きによるものである。
「されどこの御仁、なかなかに性根のひねた人物でござってな。またぞろ、何やら企んでいるようなのだ。
 まずは……立場を回復するための各所への働きかけであるとか」
 そこで言葉を切り、十兵衛は半蔵に視線を向けた。
「……なるほど。
 真壁が花好きではないと」
「うむ。
 御老中の中に、たいそう花がお好きな方がおられてな。その方に真壁がしきりと近付こうとしていることがわかったのだ。
 御老中ともあろう方が、花ごときで道理を見失うことはないと言いたいところではある。なれど、この餡の如く絶品のつつじを目にすれば、真壁に多少の尽力ぐらいは約束するやもしれん」
 新しく取った団子の串へと視線を落とし、十兵衛は苦笑して見せる。
「もっとも、その程度のことだけであれば目くじらを立てることもない。
 だが、どうもそれだけではなさそうでな。ここしばらく、怪しげな者どもが真壁の屋敷に出入りしておるし、旅の武芸者を食客として幾人も逗留させている」
――…………
 半蔵は先程の棒手裏剣を取り出した。細かな装飾の施された、赤い棒手裏剣。このようなものを使う忍や武芸者を、半蔵は知らない。ひょっとしたら、異国のものかも知れない。
「それもおそらくは、真壁の食客のものであろう」
 半蔵の手の手裏剣に目を向け、十兵衛は一つ頷く。
「そういった訳で、儂は真壁のことを探っておってな。伊賀組の育てているつつじを真壁が執拗に入手しようとしているという話を耳にして、市に出向いたのだが……
 よもや、人を斬ってまで奪うとはな」
 茶をすする十兵衛の顔が渋いのは、茶の渋みの所為ではない。
「それだけ余裕がないということでありましょう」
 半蔵は棒手裏剣をしまうと、立ち上がった。小銭をいくらか出すと、長椅子の上に置く。
「おや」
 一人分には多い小銭に、笑みを含んで十兵衛は首を捻ってみせる。
「話を、聞かせていただいた故」
「ではありがたく、馳走になろう」
 もっとも――と、団子を口に運びながら、十兵衛は半蔵に聞こえるように呟いた。
「直に、儂からも礼をすることになるだろうが、な」
と。

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