一見したところと変わらず、庭の警戒は薄い。一応、鳴子などが仕掛けられているものの、半蔵からすれば無いに等しい。 半蔵は記憶した屋敷の間取りを辿り、屋根裏へと忍び入った。梁を伝い、真壁将監の部屋へと向かう。 真壁の部屋と向かう途中の部屋のいくつかには、庭から見て取った通りにかなりの数の者が控えていた。一つ一つの部屋の中を確認はしなかったが、どことなく野卑たもののある気配に、真壁の食客となった浪人の手合いがほとんどだろうと半蔵は見当をつける。 ――存外、多い。真壁にこれほど集める力量があったのか……? いくら元は勘定奉行といっても、真壁将監は罪を犯して失脚した身。これほどの数の食客が寄る辺とするに足る存在とは半蔵には思えなかった。 その様な疑問を抱く内にも、半蔵は真壁の部屋の上に着いていた。天上板の隙間から漏れる明かりと話す声が、半蔵の推測通り真壁がまだ起きていることを示している。 天上板には残念なことに下を覗けるほどの隙間や穴はなかった。半蔵は声や気配から様子を探ろうと耳に意識を集中する。 ――部屋には、二人……どちらも男。一人は真壁……いま一人は―― 「……これが噂のつつじでございますか。 伊賀町のつつじの評判は耳にしておりましたが、確かに見事な鉢ですな。 これならばきっと先様のお好みに沿いましょう」 「うむうむ。これで、儂の道も再び拓けよう。それは即ち」 「はい、この越後屋の運も拓けるということにございますな」 ――越後屋……商人か。真壁と懇意のようだな。 それもまた、食客の数と同様に奇妙なことであった。以前からの抜き差しならぬ関係なのか、それとも他に理由があるのか。どちらにせよ利に聡いはず商人が、失脚した元奉行と今、懇意にしているのは不自然だ。商人だけではない。あれだけの数の浪人が真壁の元に集うのは、十分不穏な気配を感じさせる。 ――十兵衛殿が動くのも、道理か。 「……それにしても」 上機嫌だった真壁の声色が一変したのと同時に、一つ、ぴしり、という音が鋭く、天井裏にまで響いた。おそらくは、苛立ち紛れに真壁がどこかを叩いたのだろう。 「伊賀者め、素直に渡せばよいのに煩わせおって。かろうじて間に合ったから良いようなものを……」 「まあまあ真壁様。良いではありませぬか。こうして花は手には入ったのでありますし。 それに、愚かな伊賀者めは、報いを受けたのでございましょう?」 「うむ、残念ながら命は取り留めたらしいがのう。だが、これで今後は奴らも、儂に逆らおうなどとは思うまいて」 「つまり、真壁様は伊賀者をも従えたと」 「ふん、あのような者どもなどより、今我が手にある浪人どもの方がまだ役に立つ」 「ごもっともごもっとも。ことに、りゅうげつという御仁は、此度色々と算段をつけた傑物と窺っておりまするが」 ――りゅうげつ? 上がったその聞き慣れない名に半蔵は僅かに眉を寄せた。 「傑物などではない。素性の知れぬ下賤の者よ。 なれど確かによう働きよう尽くす。あれがおれば伊賀者など不要よ」 「さような者をも手足となさるが真壁様のご人徳。この越後屋も、真壁様のお力になりましてございます。 ささ、もう一献」 「調子のいいことを言いいおるわ。 力になるといっても、商人のそちのことだ、ただではなかろう?」 探る口調だが、真壁の機嫌は直ったようだ。 「真壁様にはかないませぬな」 「ふふん、まあ、悪いようにはせぬ」 「お願いいたします、お奉行様」 「これこれ、気が早いぞ。まだ、これからのことだ」 まんざらでもない気ぶりを隠そうともせず、真壁は越後屋をたしなめる。 「いえいえ、この花を明日の茶会に献上すれば全ては叶ったのと同じ」 ――……明日。予測通りではあるが……早いな。 耳にした言葉に、半蔵は眉を寄せていた。 明日、つつじはこの屋敷から持ち出され、何某かの老中の手に渡る。つまり、取り戻すならば機会は今宵しかない。 もっとも、真壁の悪事の証左だけならば、おそらくはつつじにこだわる必要はない。これから屋敷を探り他の証左を捜す方が、おそらくは、楽だ。 しかし。 『できうるならば……』 長の口にした想い、それは伊賀組の想いでもあろう。 ――できうる、ならば。 時はない。決断は、今しか下せない。 下では、真壁将監と越後屋のくだらない会話が続いている。 ――………… 微かに外から聞こえた音に、半蔵は視線を天上板から上げた。それは渇いた木がぶつかり合う、高い音。 ――鳴子か。 「越後屋、何か今聞こえたか?」 「庭が何やら、騒がしいような……」 部屋の二人もまた異変に気付いたときには既に、半蔵の姿は天井裏にはなかった。 |