「曲者だ!」
「出ろ、討てば褒美が出るぞ!」
「どこだ!?」
「そこだ、いたぞぉっ!」
「褒美は俺のものだ!」
 浪人達が縁に出て、あるいは庭まで下り、口々にわめいている。松明やがん灯を手にした者もおり、闇に包まれた庭を照らしている。
 その明かりに、庭の真ん中で照らし出された者が、一人。
――嘉助。
 屋根裏から屋根へと出た半蔵は、揺らめく明かりの中の嘉助の姿を見て取った。手傷を負ったか、右腕を押さえて低く身構え、囲みを抜ける僅かな隙を求め周囲を窺っている。
「ほほう、騒がしいと思えば、大きな鼠ではないか」
 真壁の声がした。部屋から出たらしい。越後屋も一緒のようだ。
「どこの者かは知らんが――」
 真壁の声に混じって、唸る風音を半蔵は聞いた。嘉助を狙っている。
――いかん。
 甍を蹴って、宙へと、半蔵は舞った。
 同時に、手裏剣を討つ。狙い過たず、金属音が響く。
 予想だにしないところからのその音に気づき、驚いたか。真壁や浪人たちの声が、一瞬、途絶えた。
 その静寂の中に、再びの風の唸りを半蔵は感じる。
――三つ。
 半蔵の身は未だ宙にある。飛んだ軌跡は変えられない。体を捻り、宙にあるままとんぼを切る。
 くるりと頭が地を向いた瞬間、鋭いものが立て続けに三つ―おそらくは手裏剣の類―が、半蔵の腹と、肩の辺りを掠めていた。
――まだ、来る。
 遅れて、もう一つ音が耳に届く。
 半蔵は右の腕をぐん、と伸ばす。その掌が夜気に冷えた地を感じると同時に、右腕を起点に更にとんぼを切る。
 遅れた一つも、虚しく、空を裂くに留まった。
 かつんと、それが地に落ちた音を聞きながら、着地した半蔵は左手で抜いた忍刀を構えた。
 その視線の先、浪人達の輪の向こうには、夜闇に半ば身を沈めた男の姿が一つ。
――四つとも躱わすとはな、見事、いや見事――
 かろうじて見える男の口元が、嘲りと挑発、そして底知れぬ憎悪を宿してそう動く。
 この男こそが真壁達の言っていた「りゅうげつ」であり、此度の真の敵なのだと、半蔵は知った。

「な、なんだ、貴様ぁっ!?」
 間の抜けた真壁の声が、半蔵と嘉助と、「りゅうげつ」を除いた全ての者の心境を代弁する。
 それには構わず、「りゅうげつ」を見据えたまま半蔵は嘉助に低く命じた。
「機を見て、屋敷に」
「…………」
 戸惑いと共に空いた僅かな間に、半蔵は一つだけ付け加える。
「つつじを」
「はっ」
 今度は、間は無かった。

「き、貴様らぁっ、儂の話を聞いておるのか!?」
 怒気と焦りを含んだ真壁の声に、ようやく半蔵は意識を向ける。
――まずは、目を眩まさねばならぬ。
 嘉助が屋敷へと入る隙を作り、時を稼ぐために。
 格好の餌は、真壁だ。
 半蔵は刀を握る手に僅かに力を込め――

「おや、騒がしいですな」

 呑気、と言ってもいい声が割り込んだ。
「表で声をかけたのですが返事がないゆえ、失礼させていただいた」
 刀の鍔の眼帯をつけたその男は、柳生十兵衛。
――……うまい時に来られる。
「や、柳生殿」
 柳生の名に、浪人達の間にざわりと動揺が広がる。
「ひさしゅう、ご、ござるな。一体何のよ、用であるかな?」
 どこからどう見ても「狼狽」の色を隠せていない真壁に、十兵衛が眼帯の下で苦笑したのが半蔵には感じられた。
 以前、真壁が失脚したのは十兵衛――と、一人の歌舞伎役者と一人の浪人――の働きによるものである。真壁が十兵衛を警戒すること自体は当然であるが、ここまで狼狽の色を見せては、後ろ暗いところがあると叫んでいるも同じだ。
「このような刻限に申し訳ない。されど、くせ者がこちらに潜んでいるとの報せを受けましてな。
 逃すわけには行かぬ故、こうして参った次第」
「くせ者……お、おぉ、それならそれ、そこ……」
「くせ者は、伊賀町一の見事なつつじを盗み出した花泥棒にござる」
 半蔵を示す真壁の言葉を、十兵衛はぴしゃりと遮った。
「……なっ……!?」
「その者、ふてぶてしくもこちらに居座っているはずなのだが……」
「……ぐ……」
「それにしても真壁殿、随分と物々しいご様子ですな。
 上様のお膝元たるこの江戸でかように人を揃えるとは、何事かありましたかな?」
 声こそ穏やかだが、十兵衛の眼光は鋭いものへと変わっていた。真壁を、浪人達を威圧する剣気を容赦なく放っている。
 一歩、真壁は後退った。わなわなとその身が震え、口から脅えと怒気の混じった声が絞り出される。
「ぅ……ぬ……ぬ……ええい、者ども! くせ者じゃ! こやつらまとめて斬って捨てい!
 さすれば褒美は倍ぞ!」

『……愚か』

 そう呟いたのは誰だったか。
 知ることもなく、わっと声を上げて浪人たちは十兵衛、半蔵達に一斉に斬りかかった。

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