縮む人の輪の向こうで、「りゅうげつ」が身を翻す。 空が鳴る音、二つ。 ――……誘うか。 一刀のもとに飛来した手裏剣を叩き落とすと、半蔵は駆けた。 誘いであっても、かの者は捨て置くわけにはいかない。 斬りかかる浪人を一人、二人、躱わし、あるいは刃で払い、「りゅうげつ」を追う。 裏庭へと入り、人の気が遠くなると、「りゅうげつ」は足を止めた。 三間置き、半蔵も足を止める。 「……知ったかよぅ、服部、半蔵。 知ったであろう……半蔵ぉ?」 愉悦に震えた声が、夜気に響く。 ――……? その声を耳にした半蔵は奇妙な違和感を覚えた。 名を呼ばれたことにではない。この「りゅうげつ」が自分を知っていたとしても、それほど驚くことはない。この男は忍、そうでなくても影の世に生きる者であろう。名の知れた忍である半蔵を何処かで見知った可能性がないわけではない。 違和感は声そのもの、目の前にある「りゅうげつ」そのものにある。 「真壁将監、くだらぬ男であろう。くだらぬ望みであろう。だがのう」 くるりと振り向き、男は嗤う。 愉悦と嘲笑、憎悪の意を半蔵に叩きつけるが如く。 「その男の望みが我らの道を開く、その男の望みがうぬに痛みを刻む、半蔵半蔵悔しかろう?あのような男の欲が為にうぬが伊賀者が倒れていくのはのう」 異様な早口で、男はまくし立てる。その一方で、その身は動くことはない。 ――………… 半蔵は、目を閉じた。 遠くから、剣戟が、浪人達の叫ぶ声が聞こえる。 前方には、「りゅうげつ」の気配。感情の高ぶりに荒々しく吐き出される、息。 ――この、気配…… 「半蔵動けぬか半蔵?クカカ……ワシを恐れたか半蔵半蔵半蔵、半蔵やぁい!!」 半蔵は、地を蹴った。確信とともに、「りゅうげつ」目指して走る。 うぉんと、空が唸る音を前方に半蔵は聞く。 闇を、鋭いものが裂く。 「りゅうげつ」の手が、動いた。 「半蔵ぉ……っ!」 かつ、かつ、と何かが落ちた音を、宙に舞った半蔵は下方に聞きながら右手首を返した。その手から放たれたのは、十字の手裏剣。 まっすぐに手裏剣が飛び行くのは「りゅうげつ」の、更に、先。 「……っな!?」 狼狽の声は、手裏剣の飛んだ先から、聞こえた。 着地と同時に、一気に半蔵は駆ける。 「半蔵ぉっ!」 怒りの声と共に「りゅうげつ」の手が動くより早く、半蔵は忍刀の柄を「りゅうげつ」の鳩尾にたたき込んだ。 ごっ、と人にはありえない固い手応えが伝わる。 そのまま柄を支点に身を反転し、上段蹴りを頭部に見舞う。 躱わすこともできずに直撃を喰らった「りゅうげつ」――木偶は、がらりと音を立てて、倒れた。 「半蔵半蔵半蔵ぉぉぉぉぉっ!!!!」 地の底からの如く低い怨嗟の声を上げ、闇から影が飛ぶ。 星明かりに浮かぶ木偶よりも小柄な姿、恨みに歪んだ顔、何よりもその動きが半蔵の記憶から一つの名をすくいあげた。 「……尾張玄衆、朧」 それは過去、半蔵が闇に葬ったはずの忍だ。伊賀忍に、「服部半蔵」に深い恨みを持っていた忍だった。 「りゅうげつ」は「龍月」。「朧」を二字に分けた名であったか。 「やっと思い出したかよ!だがこれで仕舞いよぉ!」 「………………」 半蔵の鳶色の目に冷えた光が刹那、宿った。 空が鳴る。高い音を立てて無数の刃が、半蔵めがけて雨の如く降り注ぐ。 半蔵は拳を地へと打ちつける。拳を起点に爆炎が吹き上がり、半蔵の姿を覆い隠し、飛来する刃を弾き飛ばす。 「逃すかよ半蔵!」 爆炎に怯むことなく、未だ宙にある朧は後ろ腰に佩いた刀を抜き放とうとした。 「……!?」 まだ消えぬ爆炎に照らされたその顔が、引きつる。 半蔵の姿もまた、宙にあった。その腕は既に、朧の首にかけられている。 ぐるり、と身を回す。落下の勢いをも加え、朧を背から地に叩き付ける。反動を受け流し、少し離れた位置に半蔵は着地する。 「ぐ……っ」 朧の洩らす声と同時に、爆炎が、失せた。 炎が消え、濃さを増した闇の中を、半蔵は駆ける。 過去、仕留めたはずの朧は生きて現れた。ならば此度こそ、とどめを刺す。 「は、ん……ぞ……」 ゆらり、と朧が起きあがる。肺から絞り出される声すら、憎悪が震わす。腕が振り上げられる。 空が無く。ひぃっと夜気を裂いて半蔵を手裏剣が襲う。 しかし。 あるいは金属音と共に半蔵の刃に弾かれ、あるいは空しく地に突き刺さり。 「はんぞぉぉぉぉっ!!!」 間合いを詰める半蔵に、朧は刀を引き抜くが、 「っ……お、のれおのれ……おのれぇ……」 既にその胸は、半蔵の刃が貫いていた。 「おのれ、はんぞ……ぉ……」 半蔵の胸元を掴もうとした手が、空を掻く。ずるりと刃が抜かれ、傷口と朧の口から血が溢れ出る。 「は……がっ……」 そのまま朧は地に伏し、動かなくなった。 ――………… 刃を拭って鞘に収め、半蔵は踵を返した。 いつしか夜は静けさを取り戻している。十兵衛の方も、片が付いたらしい。 |